人生

日本に帰りました。今後は海外就職の"その後"についてもお送りします!

2016-09-26

こんにちは、さむさんです。

突然ですが、私は7月末をもってクアラルンプールの外資系IT企業を退職しました。

ここ二ヶ月はずっと引っ越しの準備や荷物の処理で追われてましたが、8月末に日本へ帰国し、やっと東京の新たな生活環境も整い落ち着いてきたところです。

今回のブログは、なぜ帰国する事になったのか、そして帰国後の私や今後このブログはどうなるかについて書いていこうと思います。

現地で生活できても日本を無視できない現実

富士山

「なんで帰国する事にしたの?」と色々な人に聞かれましたが、マレーシアや海外生活がイヤで帰国というのではありません。

正直なところ、まだマレーシアから離れたくはなかったです。しかし、自分だけではどうにもならない問題もあったし、新たな環境に進んでみたい気持ちもありました。それらを考慮すると、一度帰国するのがベストという結論になったわけです。

日本の実家との問題は避けられません

一番大きな原因としては実家との兼ね合いがあります。

以前勤務していたバンコクの日系企業とは違い、クアラルンプールの外資系企業ではとても楽しく仕事をすることができました。一般ユーザー寄りの業務は初めてであり、最初は慣れないことも多く大変でしたが、同僚にも恵まれてすごく良い環境だったと思います。

そんな私もクアラルンプールでの生活も4年目に入り、現地にもだいぶ馴染んできました。信用できる現地の友人もできたりして、この地に根を張って生活できるようになってきたかな?と自負しています。

しかし、避けられない問題として、日本の実家や家族とどう関わっていくかがあります。

私もアラフォーであり、実家の母も70代。最近は実家に帰る度に老けたなぁと実感してます。

鬱病で失業したり、海外で就職する!と私が言い出したり、色々と思うところはあったでしょうけど、それでも私をサポートしてくれたことは今でもすごく感謝しています。

母も今は大病もなく生活していますが、年齢的にもいつまでそうしていられるかはわかりません。他にも色々と家庭の事情はありますので、まだ母が元気なうちに一度は家に帰ってそれらの問題をクリアにする必要があります。そうしないと後で私たち兄弟が大変になりますから。

同じように海外で生活する友人と話をしても、「ずっとここに住んでいたいけど、実家の問題があるからいつかは帰る必要はあるのかな。。。」という人は少なくありません。

海外生活は楽しいですが、日本の実家や家族との問題はいずれクリアにしないといけないというのは、頭に入れたほうがいいと思います。

でも、もし自分が20代や30代前半だったら、まだまだ海外生活は続けたでしょうね。あの頃なら実家の親ももっと元気でしたから。

非日常の生活がやがて日常になる。そして新たな非日常へ。

クアラルンプールのツインタワー

もう一つ大きな原因としては、今の生活にマンネリ化を感じるのが否めず、新たな環境に進みたい気持ちが強いということです。

バンコクとクアラルンプールでの海外生活は、約4年間にもなりました。最初は慣れない環境で色々苦労させられましたが、4年もこの生活を続けているとすっかり落ち着いてきます。もはや自分にとって、海外生活や多少のトラブルは完全に日常になってしまいました。死ななければどうにかなると割り切れるくらいになりましたよ(笑)

また、年中温暖な東南アジアの気候はマンネリ化の原因にもなります。

私が東南アジアに興味を持ったのは、寒いのが大嫌いというのが大きいです。夏の開放的な雰囲気と比べて、冬は空気も乾燥して風邪もひきやすくなるし、気分まで滅入る感じじゃないですか?

四季がある日本から来た私にとって、年中温暖な東南アジアはとにかく最高の気候でした。

しかし、年中温暖で季節感がないというのは、周りの環境だけでなく自分自身の気持ちへの変化や刺激が乏しいという面があります。

日本の四季って快適な季節はあまり多くないと私は思うんです。暑すぎず寒すぎない、春と秋の合計4-5ヶ月くらいでしょうか。それ以外の時期だと、東南アジアにいるほうが遙かに快適ですね。(クアラルンプールはホントに快適な気候でした)

しかし、その落ち着いた環境である故に、自分で動かないと変化や刺激がものすごく少ない環境になってしまいます。季節と共に気候や服装が変わったり、旬の食材が食卓に並んだりする。そうすると、自分自身も気分転換になったり刺激になるんですよね。

だから、季節の変化ってすごく大きな刺激になると今では思います。そんな季節感のなさに加えて、東南アジア特有ののんびりした雰囲気に流されて、ふと気がついたら何もしないまま数年経過していた、というのはよくある話です。

私の周りの人たちを見ても、数年働いたら環境を変える人は少なくないです。日本に帰る人もいるし、同じ国や違う国で転職したり。私も日本に帰らなくてよかったのなら、自社内での異動かマレーシアで転職したでしょうね。

海外就職とその後の人生について

このように私は帰国したわけですが、このブログが終わる予定はまったくありません。

むしろ、ここ数ヶ月迷っていたブログの方向性がクリアになりました。

今後このブログは、"海外就職を中心に日本と世界の垣根を越えてどうやって生きるか"がメインテーマになります。それは海外で就職するのみならず、海外就職した"その後"の生き方についても力を入れて発信していこうと思います。(もちろん世界各地の現地情報もどんどん発信します)

海外就職のロールモデルの一つとして発信したい

コンドミニアムのプール

私がバンコクに飛んだ4年前は、海外就職はまさに海のものとも山のものともつかぬ世界でした。海外就職なんてろくなモノじゃないし、まさに片道切符だと色々な人に言われたものです。今では地上波放送のバラエティ番組で取り上げられたり、実際に就職する人たちもどんどん増えているし、確実に流れが変わってます。

しかし依然として多くの人たちの間では、その実態はあまり知られていないと思います。

テレビにおいても、タイやマレーシアでプール付きの物件に住んでセレブ生活って取り上げられる一方、日本に里帰りできないレベルの超安月給とか取り上げられたり。ある意味で真実であっても、すごく良いところか悪いところを強調してきて、リアルさが欠ける場合もあるんですよね。(テレビ番組が成り立つようある程度の編集はやむを得ないでしょうが)

それだけ知られてない原因として、とにかく海外就職の情報って少ないんです。実際に皆さんの回りでも、海外就職された方はほとんどいないんじゃないでしょうか。海外で就職した場合のロールモデルになる人は身近にいないのが現実です。

ロールモデルが少ないだけでなく、海外就職をした人で実際にブログ等で情報発信している人はすごく少ないです。さらに、帰国してからも情報発信している人は尚更少なくなります。

私も帰国した今だからこそ、自分の経験や情報を発信するべきだと強く思うようになりました。私の周りでも海外就職をきっかけとして、現地で役職や給与のキャリアアップした人もいるし、他の国で更に良い条件で転職できた人もいる。現地の経験を生かして日本に転職した人もいるし、起業を目指す人もいます。

海外就職は片道切符じゃないし、日本だけでは得られないキャリアを築ける可能性だってあるんです。海外就職の後がどうなるか、そのロールモデルの一つになるような情報を発信していきたいと思います。そして、そのような情報を発信することにより、海外就職を目指す人の不安を取り除くことができればと思います。

より"Borderless"に生きるべく、"複業"を目指して挑戦します!

成田空港行きのANA

私自身の今後の拠点ですが、当面は東京になるかと思います。ただ、ずっと東京に居続けるつもりはまったくありません。

私は一度海外に出るのを経験したので、日本にいた頃よりフットワークは軽くなりました。一度海外在住を経験したので、海外の環境への耐性もつきましたし、動く事自体が気楽にできますね。今の自分なら、アジアの主要都市はだいたいどこでも住めると思います。もはや大阪に引っ越すのもクアラルンプールに引っ越すのも同じようなもんですね。(笑)

しかし東京の実家のこともあるので、完全に東京から離れるのはしばらく難しそうです。

そんな私が目指しているのは、東京とそれ以外に拠点を持ち、収入を複数持つ生活です。要するにデュアルライフですね。

永住よりも海外と日本でborderlessに生きたい

コンドミニアムのリビング

私がプール付きの広い部屋に住めたのも、住宅事情の良いマレーシアで生活したからです。しかし海外とは違った意味で、日本の生活の良さがあるのを私は知っています。

domestic_international
海外移住=永住の時代ではない!帰国したり再移住したり世界を自由に動いてみては?

続きを見る

このように、海外移住はもはや永住ではないと考えます。LCCなど安価な交通機関が発達したこの時代に自分の拠点から動かないのは、フットワークが重すぎじゃないでしょうか?複数の拠点を移動したり、帰国したり再移住したり、もっと自由に動けるくらいのほうがいいと思います。まさに"Borderless World"です。

"複業"による複数の収入でリスクヘッジをする

拠点だけでなく、収入源も複数あるのは緊急時に大きなリスクヘッジとなります。マレーシアでも、多くの人が本業以外に収入を得るべく動いていました。投資用の不動産を買ったり、転売で稼いだりとか。状況次第でいつ解雇されてもおかしくないですから、本業以外の収入を得るためにみんな貪欲でしたね。

私も今はメインとなる本業の他に、いくつか副業を始めております。といっても、目指す方向は、どれも本業となり得る"複業"を目指しています。本業からの収入の割合が高すぎるのは、本業に問題があった際のリスクヘッジとしては弱くなりますからね。その意味で本業の合間にお小遣いを稼ぐような"副業"ではなく、どれも本業になり収入も均等な"複業"が理想です。

まとめ

バンコクとクアラルンプールで過ごした約4年間は、自分の中でもかけがえのない経験となりました。色々と新しい出会いがあったり人脈ができたり、時には辛かったり悲しい思いをしたり、それらはすべて私の宝物です。そして、楽しい以上に学ぶことがたくさんでした。

先がどうなるかわからないこの時代ですが、ここでの経験があればこの先も未来を切り開いていけると私は信じてます。

まだまだマレーシアのことで記事にしてないのはたくさんありますし、海外就職などで世界へ飛び出す人に向けた記事はもっと書いていきたいです。

ちょっとだけ路線が変わりましたが、今後ともよろしくお願いします!

 

 

  • この記事を書いた人

さむさん

うつ病による退職後、アラフォーでタイとマレーシアで海外就職を実現しました。 現在は東京から、日本や世界の壁を越えた新しい働き方や生き方を追求中です。

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